切干大根
図書館に行って、ふと「よみの国」という絵本が目に入った。
深緑色のした四角いソファーに腰掛け、ページをめくってみた。
イザナミにそこで待っていてと言われたのに、イザナギは扉を開けてしまう。そこで怒るイザナミ。
イザナミは最後に言う。「あなたの国の人たちを毎日1000人に殺してやる」
イザナギはそれに対して答える。「それならば毎日1500人生み出す」と。
イザナミの力は弱ってしまったのか、医療は発展してしまい、その医療に私達は恩恵を授かり今日も命を長らえている。
イザナギの力も弱ってしまったのか、世の中は少子化が叫ばれている。
イザナギが扉の前で辛抱強く待っていたら、この日本はどう変わったのだろうか。
でも1人の人間の行動で、世の中が変わるなんてことはきっと現実のお話でも起こっているのかもしれない。
そんなことを考えながら、絵本を閉じた。
そしてその後は「カルトの子」という新興宗教二世についての本を読んだ。
とある宗教では、子どもが親から引き離されていることに子どもが違和感を覚えず受け入れている。
ある宗教では、子どもが体罰を受けることを良しとしていて、そのことが子どもの胸の中の傷として深くえぐりこまれている。
徒然なるままに
タッキーが引退を発表した。
あむろちゃんといい、タッキーといい、ホルモンの休止といい、平成が終わっていく。私達の平成が。
弟は昔、タッキーに似ていると言われていた。なお、時間とは恐ろしいもので現在全く似ていない。きっとタッキーの小さい時の写真を見れば、タッキーはタッキーであって、弟とは全く似ていないのだろう。そうでなければおかしいくらい似ていない。あの時弟のことをタッキーと呼んでいたママさんたちは反省した方が良い。弟が間違えてジャニーズにでも入りたがったら、私達家族はどう言葉を選びつつ本人に「あなたはタッキーではない」と伝えなければならなかったかと考えると震える。
弟は小さい時、ダンボールの中に入りたがった。母親はそんな弟を「将来このままダンボールに入って成長し、ホームレスになったらどうしよう」と案じていた。そんな幼少期にしなくても良い親からの心配をよそに、弟はすくすくと育っていき、今は大学四年生だ。
ダンボールの中から飛び出して大学にまで進学し、楽しそうに怠けた学生生活を送っている。
もう四年生なのに、もう夏も終わるのに、就職が決まらない。母親は我が子がホームレスになる危険性があったことなんかすっかり忘れてしまい、今は我が子が就職できないという恐怖に怯えている。
タッキーが引退を発表した。
平成が終わり、新しい時代が始まる。
我が家の元タッキーは、新しい時代を何をしながら迎えるのだろうか。
姉として、良い時代になってほしいと願っている平成の今日この頃。